![]() 新大陸探検の歴史カヌーがヨーロッパ人といつ頃いかにして接するようになったのか興味が湧くところだ。 そして、文字を持つヨーロッパ人によって始めてカヌーの詳細な情報が記録され現在まで残されている。 なぜヨーロッパ人のカヌーについての記録が重要なのかというと、北米のネイティブアメリカン達の多くは文字を持たなかったので、彼らによる記録が残されていないからである。 その上、木製のカヌーは保存が利かずすぐに腐って土に戻ってしまう。 そういったわけで、当時のカヌーの様子を知るにはヨーロッパ人の残した記録を辿るしかない。 ここでは主に北米の探検について紹介する。 ヨーロッパ人がいつ頃いかにしてカヌーと接するようになったか分かるだろう。 そして、多くの探検家は未知の大陸での探検にバークカヌーを使用したことは間違いないだろう。 また後半には詳細な情報も記した。 新大陸探検年表
解説
35人の乗組員と共に今のニューファンドランド島の北端に上陸し、その地をヴィンランド(ワインの地)と名付けて短期間だが植民地を築いた。それはコロンブスの航海より500年も前のことである。 しかし、当の本人はそれをインドの一部であると信じ、死ぬまで新大陸の発見に気が付かなかった。 正確な上陸地点は不明だが、さらにノバスコシアからニューファンドランドの海岸線を探索した。 98年再度アジアを目指し航海に出るが、詳細は不明である。 カボットもまたコロンブスと同様に発見した土地がアジアの一部だと信じていた。 1535-36年に渡り、第2次遠征を指揮しニューファンドランドが島であることを確認した。そして、ヨーロッパ人として始めてセント・ローレンス川を遡りモントリオールまで達し越冬した。 41年には、カナダ植民計画に参加したがうまく行かず、その後シャンプレーンの時代まで植民計画は放棄された。 1539年フロリダに上陸し以後3年間あてもなくアメリカ南部をさまよいミシシッピ川のほとりで没した。 1603年に始めてカナダに渡って以来、20年以上にわたり20回以上も大西洋を往復している。1603年には、原住民からの聞き取り調査により五大湖周辺の地理を明らかにした。 1605年セントローレンス湾からコッド岬辺りまで南下し、ニューイングランド地域の正確な地図を始めて作った。 1608年、現在のケベック市に本格的なフランス植民地を築いた。その後オタワ川からヒューロン湖に抜けるルートを開いた。このルートは、後の毛皮取引の主要ルートの一つになった。 1609年ヨーロッパ人として始めてシャンプレーン湖を発見し、彼の名が残っている。1615年には、原住民の生活様式に関しての最古の報告書を作成した。 彼は「蛮族のカヌーに乗れば、誰でも自由に旅が出来る。」と書いている。 1610-11年の航海でハドソン海峡からハドソン湾に達したが、食糧不足から隊員間に不和を生じ、息子や仲間7名と共にボートに強制移乗させられ、漂流、消息不明となっている。 ピエール・エスプリ・ラディソン Pierre Esprit Radisson (1630?-1710) 1654-56年にかけてと1659-60年にミシガン湖、スペリオル湖からミネソタ辺りを探検した。 奥地への進出には、カヌーは欠かせないものであった。また、毛皮を大量に運ぶために巨大なカヌー(ファー・トレード・カヌー)も作られた。 驚くことに300年以上経った現在も存続している。 ホームページでは300年以上にわたる会社の歴史など詳しく知ることができる。 http://www.hbc.com/english.asp 82年カヌーでミシガン湖からイリノイ川を通ってミシシッピ川を下り河口まで達した。彼は、この広大なミシシッピ川流域をルイ14世にちなんで「ルイジアナ」と名付けフランス領と宣言した。 83年フランスに帰国後総督に選ばれ、ルイジアナ植民地を開拓しようとする。84年400人の部下と共にフランスを出帆、メキシコ湾からルイジアナに上陸しようとするがミシシッピを600キロも行き過ぎてしまい、迷ったあげくテキサスに上陸し、徒歩でミシシッピを目指すが途中部下の反乱に合い殺害された。 ノースウエスト会社には、アレクサンダー・マッケンジー、デビッド・トンプソン、シモン・フレーザーらの優秀な探検家が大勢いた。 最大のライバル会社であるハドソン湾会社とは事あるごとに衝突し、1816年にはセブンオークスの虐殺事件を引き起こした。その後1821年にハドソン湾会社に吸収合併されノースウエスト会社の名は消滅した。 1767年の探検ではウィニペグ湖の東岸を、1769年には南下してマニトバ湖の西部を探検した。 彼の報告により、ハドソン湾会社は方針を改め、ハドソン湾岸のみにとどまらず内陸奥地まで進出するようになる。 ノースウエスト会社の設立にかかわった。 ハドソン湾会社の見習社員としてカナダに渡ってきたのは14歳の時であった。1797年にはライバルのノースウェスト会社に移り探検も本格化した。 当時の日記をもとに、晩年には「探検記」を記した。 雑誌「NATIONAL GEOGRAPHIC」の1996年5月号に詳しく取り上げらた。 「NATIONAL GEOGRAPHIC」の日本語サイトはこちらです。 セントルイスからミズーリ川を遡り、コロンビア川を下降して太平洋岸に出た。周辺の測量調査を進めるとともに、インディアンの生活や野生生物、植物など詳細な調査を行った。 初めは1隻の大型の平底船で出発したが、川が浅く小さくなると、6隻のカヌーと2隻の喫水の浅いボートを使用したという。この探検は18ヶ月も要した。 彼らの辿ったルートは、後に西部開拓の道として利用されることとなる。
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