![]() B.N.モリスB.N.モリスは最も初期のウッド&キャンバスカヌーのメーカーの一つである。いつからカヌーを作り始めたのかは実は定かではないが、1887年という説が有力だ。 設立者は バート・N・モリス(Bert N.Morris)で、この時21才であった。 最初モリスはヴィージーの自宅で、インディアンのバーチバークカヌーと同じ方法でウッド/キャンバスカヌーを作り始めた。しかし、この方法で作ったカヌーはほんの僅かで、すぐにフォーム(型)の上で作る新しい方法に切り換えられた。 最初の工場は、”ヴィージー・カヌー・カンパニー”という名前で、小さな4階建てのビルだった。 まず、材料が1階で製材され2階に送られた。行程が進むにつれて3階、4階と送られ4階でカヌーが完成するというシステムだった。 さぞかし効率が悪かったのだろう。事業が拡大すると共に、すぐに大きな工場が建てられた。 従業員は、1890年代は35人ほどだったが1910年代には75人にもなっていた。 モリスのカヌーはレクレーション用のカヌーで、ガイドやウッズマン(猟師や木こりなど)用のものではない。彼らはもっと細身のカヌーを欲しがったからだ。 モリスのカヌーのデザインは、インディアンのバークカヌーからかけ離れて幅が広くなり、よりボリュームがあり、エンドは高く大きくカーブしたものになった。 この様にモリスのカヌーは、この製法で作られるカヌーの中ではかなり個性的なスタイルである。 モリスカヌーのユニークな特徴は、ボトム部で3インチ(約7.5cm)も幅のあるソフトウッド(シダー)のインサイドステムだ。この広がったステムには、シリアルナンバーの刻印された真鍮製の長方形のプレートが取り付けられていた。 モリスカヌーのこのほかの特徴としては、銅製のステムバンドがリベットによってステム材を貫通して取り付けられていること。キールは全てのリブ材に止められていること。インウェールはリブの先がはまるよう切り欠いてあることなどがある。 1920年に火災により工場は焼失してしまう。原因は精神異常者による放火だった。 54才のバートは、新たに工場を再建しようとはしなかった。自宅の横に小さなショップを開いて、1940年に亡くなるまで細々とカヌーを作り続けた。 工場の多くの材料は、オールドタウンカヌーに売却された。 バートはまた、自宅のショップと同時にオールドタウンカヌーの仕事も請け負っていた。オールドタウンカヌーのために作ったカヌーの一つは、オールウッドのレーシングカヌーで、プランクは1/4″のシダー材、リブは3/8×5/8″のニレ材、デッキはメープル材であった。 1938年、ミネソタ州エリーのビルダー、ジョー・セリガ(Joe Seliga) へ送った手紙の中で、この特別な方法で作ったキャンバスカヌーは3種類あると書いている。 不運な火災により、工場長であるウォルター・グラントはウォーターヴィルに移りケネベックカヌーカンパニーの監督官になった。 彼は後に、ノリッジウックでスコーヒーガンカヌーカンパニーを始める。 グラントの妹はE.M.ホワイトと結婚し、また彼の双子の弟もホワイトカヌーで働いた。 バートは74才で亡くなったがモリスカヌーの後を継ぐものはなく、フォームや記録などほとんどのものは行方不明になってしまった。 また、現存するB.N.モリスのカヌーを見つけることもほとんど困難だろう。
Hiro Wooden Canoe Shop
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