![]() オールドタウンカヌー1900年に会社になった。初めの4年間は急速に成長し、会社名も次のように変わった。1900年「ウィケットキャンバス」、1901〜02年「インディアンオールドタウンカヌー」、1902〜04年「ロバートソンオールドタウンカヌー」、1904年に最終的に現在の「オールドタウンカヌー」になった。 1902年マサチューセッツ州のロバートソンカヌー社と統合した。ハーバート・グレイが社長、ジョージ・グレイ、ジョージ・リチャードソン、J.R.ロバートソンらが役員であった。 ロバートソンは会社の急速な発展をもたらしたが、オールドタウン社にはほんの数年しかいなかった。 ジョージ・グレイの息子サミュエルは、ボウドイン・カレッジを1903年に卒業すると会社に入る。まもなく、工場のデイリーマネージャーになり、1912年会社の全ての運営を任され、1961年に亡くなるまで続くことになる。 1901年、4階建木造のキース靴工場跡に移転する。 1912年と14年の増築で、4階建て(一部5階)の煉瓦作りの全長300フィート(約91m)ものビルが完成する。床面積は15万平方フィート以上もの設備であった。 1910年までに、木の伐採から製材、仕分けまで全てを自らの手で行っていたが、事業が大きくなるにつれメインの森では賄いきれなくなってきた。1920年、目の詰んだ長尺のウエスタンレッドシダーをプランキング用に輸入し始めた。弾力のあるメインのホワイトシダーはリブ材用に使われ続けた。地元のスプルースやアッシュは、ガンネル(インウェール)、ステム、スォートなどに使われ続けたが、 ホンジュラス産のマホガニーがアウトウェールに使われるようになっていった。 第二次大戦中、材料の輸入が難しくなると、長いこと使わなかった伐採用の道具を引っぱり出して森の木を切り出した。 1910年頃、オープンガンネル製法が人気が出ると、オールドタウンは特徴的な頭がダイヤ型のボルトを作り出した。これは今日でもオールドタウンのトレードマークとして知られている。 オールドタウンの実際の優れた技術は、正式に取り引きされたか優れた従業員から得られたものだった。A.E.ウィケット、J.R.ロバートソン、 B.N.モリス(火災で自身の工場が無くなった後)彼らは皆、時はバラバラだがオールドタウンに移ってきた素晴らしい職人であった。 1910年、カールトンカヌー社(Carleton Canoe Co.)を買収し、カールトン社のバトー(平底川舟)がラインナップに加えられた。 サミュエル・グレイのリーダーシップと品質重視により、1950年代にアルミニウムカヌーが人気が出るまで、オールドタウンは世界をリードするカヌーメーカーであった。 一時、グラマン社が年間2万台ものカヌーを販売していたとき、オールドタウンはわずか数百台しか販売していないときもあった。 事業は衰退し、サミュエルは息子達のブラリー(Braly)とディーン(Deane)に会社を任せる。サミュエルは社長としては1961年まで在籍していたが、最後の10年は実際には2人の息子が仕切っていた。ブラリーは1964年に引退し、ディーン・グレイが1人で会社を運営する。 ディーンは歴史あるウッドカヌーの会社を維持し続けようとしたが、1960年代初めのファイバーグラスとプラスチックのカヌーの流れに乗らざるを得なかった。 ファイバーグラスカヌーでオールドタウンは少しずつセールスを回復していった。 1972年、ロイヤレックスカヌーの導入により会社は急速に上向いた。 1974年、ジョンソンワックス社(Johnson Wax Co.)に買収されて子会社になる。 1984年、ホワイトカヌー社を買収する。ホワイトカヌー社は1889年に設立されたもっと最も歴史あるカヌーメーカーの一つであった。 1990年にはパドルメーカーのカーライルパドル社(ミシガン州グレイリング)を買収する。 1995年にはポリエチレン製のカヤックもラインナップに加わった。 1997年、オーシャンカヤック社(ワシントン州ファーンデール)を買収。 現在、オールドタウンカヌーはアメリカの他、世界18カ国で販売されている。 今や世界最大のカヌーメーカーである。 しかし、オールドタウンカヌーのすごいところは、今でも伝統的ウッドキャンバスカヌーを作り続けているところではないだろうか。 いつまでも伝統的なウッドカヌーの灯を絶やさないで欲しいものである。 ■オールドタウンカヌーの全てが1冊の本になっています。 "The Ood Town Canoe Company - Our First Hundred Years -" 著者 Susan T.Audette ■オールドタウンカヌーのホームページ http://www.otccanoe.com/
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